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野原八幡神社(上今任):大任町最古の鳥居がある藤原今任卿が宇佐神宮から勧請したとされる由緒ある神社

今日は大任町役場から北600m程の辺りの上今任という地域の小高い丘にある上今任鎮守『野原八幡宮』をご紹介します。こちらの神社は天慶5年(943年)に当時この上今任地区は、今任村という宇佐八幡宮弥勒寺の寺領であったところに、藤原今任卿が大分県宇佐市にある宇佐神宮から勧請した由緒ある神社とされています。大任町にはこの今任村が、上今任村と下今任村に分村した際に、柳瀬山に分祠した柳瀬山八幡神社もあります。

お宮はよく手入れが出来、参道、神社林ともによく尊厳が保持されている。神殿廻廊ともに堅牢な造りになっています。境内には全部で9つの石祠があります。小一郎社、諏訪社、歳登社など、特色あるものが多く、小一郎社は新田義高を祀った地元的な民間信仰であり、歳登社は五穀の豊穣を守る神で、いずれも今も座まつりが維持されています。諏訪社は本社は長野県諏訪郡にある元官弊大社、はじめ狩猟神であったのが農業神となり、さらに武神として尊敬されました。

境内にある鳥居は延享5年(1748)、石燈篭は宝暦13年(1763)、手水鉢は弘化3年(1828)、狛犬は延享3年(1746)など歴史のある建造物が残っています。また野原八幡神社の創祀千年の記念碑(明治23年(1890))、千季祭碑があります。この石碑には下記のように書かれています。

天慶の変、西国乱るる為に、朝廷、小野好古を征西将軍となす。三位藤原今任卿来って、純友を討つに及び、平ぐ事、功を以て郷に封ず。豊前国、城野原郷に居る。あつく深く宇佐宗廟を敬す。一夜夢に感じ、社を立つ干野原山に神を迎え奉祀す。案ずるに天慶5年8月25日也。今をへだつる950年思うに千年とは伝う。其の大数を挙げる也。村民相い謀り祭典盛んに行う事三日、未曽有の一大美事と為す。碑を建て之を誌す。

野原八幡神社の祭神

宇佐神宮の末社であることから、宇佐神宮に祀られた三柱を祭神としています。
誉田天皇(応神天皇):大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方。
神功皇后(応神天皇の御母):神人交歓、安産、教育等の守護。
姫大神(市杵島姫命):宗像三女神の一柱。水の神である。

野原八幡神社の由緒

 野原山鎮座、八幡神社は、宇佐八幡宮の勧請である。今任村は昔、宇佐宮弥勒寺の寺領であった。天慶5年(942)8月、一条藤原今任朝臣の創立にして子孫代々の崇敬厚かりし、応永の頃迄は、殿舎も、宏大に祭祀も厳重なりしも、世は戦乱となり、神社も度々兵火に罹り、社領は遂に横領せられ僅かに今任村民の尊信に依りて、保持せられつつ、慶長、寛文、宝永、正徳の改築も其の為に成れり。

 今の神殿も元文3年(1738)3月村民熱血の餘滴を搾り漸くにして落成せしめられた。と古文書の伝うる処なり。社殿も年と共に朽ち、明治39年(1906)11月3日建立(天長節)に神殿の改築も成れり。

 其の後太平洋戦争(昭和16年12月~20年8月)を経て、戦後の日本復興の原動力となった筑豊炭鉱の鉱害も受け数回の改築が行われ、現在に至る。

 尚、明治24年(1891)11月21日よりの三日間は神社創立一千年祭が盛大に催された。

 祭神は誉田天皇(応神天皇)、神功皇后、姫大神の三柱で共に宇佐宮の祭神である。

また、神社の記録には、藤原今任卿が宇佐から勧請したと下記のように記されています。

(前略)今任卿平日八幡大神を尊信し、常に以為えらく、夫れ八幡宮は日本中興の武神にして敵国を降伏し、朝家を鎮護すること赫々たりと、是に由りてか、或夜夢むらく威儀厳端なる上客あり、白馬に鞭ち来りて馬を枕頭に駐め宣り曰く「汝互を崇敬すること至れり、吾今より汝が地に遷り住せむと欲す、汝吾がために宮造せよ」仰って忽去りぬ、卿夢さめて敢えて実となさず率に旬余を経たり、暫くて夢みること再三、ここに於いて愕然として起て座次を整し拝伏黙謝し、日ならず宇佐宮に詣して謹んで拝礼し仰で霊迹を吾が〇邑に垂れ給はんことを懇祈りして居城に帰る。後家臣とともに其事を議し、遂に田川郡建徳寺城内に殿舎を経営す、時に天慶5年8月25日なり神官等相聚会し致斉して神を此の地に奉請す、是れ即ち今任八幡宮也(云々)

野原八幡神社の祭日

2/21 祈年祭
4/21 新嘗祭
5/2,3 神幸祭
7/9 祇園祭
11/23 新嘗祭

「野原八幡神社」の住所・交通アクセス・営業時間・公式サイト

住所〒824-0511 福岡県田川郡大任町今任原1600-1
駐車場駐車場なし
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